本当は真面目なんだけど容量小さいので整理できない頭の中


by o00honey-bee00o

カテゴリ:音楽( 9 )

人と関わっていくこと

人間誰しも、一人では生きられないと言う
必ず誰かと関わって生きている

私の周りにいる年上の社会人の方々は、生活の中心に仕事があり、ということは、人格の中心は仕事によって形成されている
利害関係があるから、ワガママも抑えこみ、愛想笑いをしてやりすごす。
巧妙な駆け引きも時にはあるけど、当たり障りなくやりすごす。

反面、「趣味だから」という理由で、プライベートでは我慢しないことをポリシーにしている人も何人か知ってる。
過度な我慢は必要ないと思う。仕事でもプライベートでも。
そして、家族や恋人、長年の友人など、遠慮のない関係にある人に対しての態度と、社会的な態度が大きく違うことも。
そりゃもちろん、近しい人にだけ見せられる姿や、安らげる場所は必要だし、それで成り立つ絆もあるから、そういう関係の人がいることは素敵だと思う。
でも、その人たちにもひとつの人格があり、近しい関係であっても尊重するべきところや、礼を尽くすべきところはある。
そう考えると、誰かと関わって生きなくてはならないけど、自分と同じ人間は自分の外にはない。
言わなくても分かってるでしょ、はどこのコミュニティにも存在しない。
近しい人にも傷つけられることだって、全くないとは言い切れない。
自分のことは自分で決めなくてはならないし、強い衝撃を受けた時それを処理するのは自分だけ。
防御法を持っているかいないか
衝撃を食らった時に受身が取れるか
傷ついた時に薬を持っているか
誰かが守ってくれたり、癒してくれたりすることはある。そうやって救われていくものだと思う。
でも最初から、自分に都合のいい「誰か」がいることが前提になっていては、自分の足で歩いていけないんじゃないか。
誰かが何かをしてくれるのを待つんじゃなくて、自分で自分を癒せる方法を身につけておくことも必要なんじゃないか。

結局、どこにいても自分は自分しかいない。
自分を楽しくさせてあげられるのも。

なお、私は駆け引きとは思っていません
自分のやりたいことをやりたいようにやるために、できるだけ適切なタイミングで、誤解のないよう、丁寧に伝えているだけです。
断りきれずに仏頂面でやるより、丁寧にお断りしたほうがその後の雰囲気も壊さずに済む。
やりたくないことを渋々引き受けて、「なんで私がこんなこと…」ってなるくらいなら、断りゃええんよ
頼むほうも、「ちょっと演奏するだけだから」なんていうノリで来ることもあるので、
「私の実力では『ちょっと演奏するだけ』という感覚でできることはほぼありません。無責任なことはできないし、そのためには今回は準備ができかねます。」
「『ちょっと演奏する』ぐらいの存在感なら、なくてもいけるよ」
ぐらいかな。返答としては。
そして、もし、やりたくなくてもやると決めたんなら、人に迷惑をかけないように自分のやるべきことを全うすること。
自分に有利な環境を作るためじゃなくて、私も含めたみんなが楽しくやるため。

仕事以外の方が、お金の利害がない分、人とのお付き合いは難しいと思っています。
その人の自分への向き合い方も、すごくお人柄が出てるし。
逆も然りで。
自分をしっかり持っていないと、思わぬことになります。
勝手に撮られた画像(ステージ上ではない)をSNSにアップされたり、勝手にタグ付けされて知らない事柄に巻き込まれてたり、ネットワークビジネスのセミナーに連れて行かれそうになったり、翌日早朝から仕事なのに帰れなくなったり。

本来あたりまえのことが、この年になるまでむつかしさを引きずっているのであります。

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by o00honey-bee00o | 2017-09-15 09:54 | 音楽

匂いと音の記憶

浜田真理子さんの曲を、何年かぶりに聞いています。
松江在住のシンガーソングライター。
松江の街にとても似合う音。
多すぎない音、ピアノが木でできているんだなあって分かる音作り。
つぶやくようなピアニシモ、力まず響くフォルテ。
静かな、水の都にぴったりの歌でした。

最近住んでいる街の雰囲気にはどうもしっくりこず、
そしてその頃のことを思い出してしまうから、
聞かないようにしてたし、新譜も買ってなかったんだけど、
昨日、広島であったライブで3年ぶりくらいに生演奏を聞いた。
最新アルバムに入っている曲を聞いて、
初めてなのに涙がじわっときた。
あなたの笑顔がとても好き
な気持ちが、私にも少し思い出せた。

そんなわけで、CDを買って帰りました。
そのころそのままが戻っては来ないけど、私にもまたあったかい気持ちが湧いてきますように。
好きなものに囲まれて暮らそう。
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by o00honey-bee00o | 2014-10-21 15:35 | 音楽

なやみ

誰に言うことでもないけど、仕事と音楽活動の狭間で悩んでいる

5月は、仕事上で知ることとなった、行きたい演奏会に行かなかった。
この時代に生きている一音楽家(になりたい者)として、見ておきたい歴史上の出来事だったと思う。
戦後日本で活躍した偉大な現代音楽作曲家が逝去し、その友人であり大きな影響を与え合ったであろう指揮者が彼の作品を演奏するという会だった。
演奏するメンバーも、彼と心を通わせた人たち。
心あふれる、二度とない時間と空間だったことだろう。

その日に、私は自分の演奏活動を優先させ、隣町のイベントでジャズ(もどき)を吹いていた。
小さな町の、小さなイベント。たった5人のバンド。演奏した曲だって、スタンダードの、誰もが演奏したことのある曲。
アドリブも通り一遍すらできないような稚拙なものだった。←わたしは。

でも、どっちを選ぶのが「正解」だったのか、私には未だに分からない。

正解はなくて、どっちを選ぶかによって、これから私がなる姿が変わった瞬間だったのではと思う。
私はこの地に根を張り、この地の価値観で、この地を出ることなく生きていく人間となることを選んだんだと思う。
もちろんこの時1回の選択が全てを決めるのではなく、こういう選択ひとつひとつがこの先の私の選択肢をひとつずつ狭めていくんだと思う。
どういう者になるのか、より具体的に決まっていくんだと思う。

よかったのかな。
ここで、この範囲内で生きることを選択してよかったのかな。
じゃあそれを選択しなかったら、どうなってた?誰かと深く交わることがあっただろうか。
貴重な機会に、観客=「傍観者」として存在するか、ありきたりな機会でも当事者として存在するか。
観客である限り、誰かと誰かの深い交わりを、傍から指をくわえて見てうらやましがるだけで、何も手に入れられなかったんじゃないだろうか。
って、ずっと考えてる。

3月も4月も、自分の演奏活動を優先させて仕事を休んだ。
私1人が休むことなんてどうってことはなくて、代わりの誰かがやってくれる。
ただ、私はその場にいなくて、何人かの誰かの何かが変わる空気を感じることなく、
置いてきぼりにされてしまっているのではないだろうか。
1度だけならまだしも、周りはその瞬間に立ち会い、何かが変わる空気を何度も肌で感じて自分の積み重ねにしていくのに対し、私はよくて伝聞で、表面だけの経験を積み重ねたつもりになっていくのではないか。
一定期間が経ったとき、私大きく取り残されるのでは。
って、ずっと考えてる。

来月も仕事で何かが動く日に、演奏活動の予定が入ってきた。
代わってもらうことはいくらでもできる。
ただ、その場にいないで、優先させる演奏活動はどのくらい私自身にとって価値のあるものなんだろうか。
プロ級に上手いわけでもない、私以外のメンバーで出れない人もいる、それで生活している人もいない、私達の演奏が音楽史上大きな意味を持つものでもない
でも、私が仕事を選んだら、他のメンバーにとって大きな意味を持つかもしれなかった機会がなくなってしまうかもしれない。
自分の経験をとるか、メンバーの機会をとるか
いやそれは違うな メンバーにとっての「機会」が私にとって無意味かっていうとそれも違う

そうなると、私は
プレーヤーである自分

マネージャーである自分

どっちをとるかってことになるのかな

どっちか選ばなきゃいけないのかな
なんで毎度毎度重なるんじゃ

正直、ちょっと演奏活動をお休みしたい気分です
惰性でこなすのはメンバーにもお客様にも失礼
私にとって演奏活動がどういう意味を持つのか、はっきりさせてからやりたい。
はっきりしないなら家で自己完結でもいいくらい。

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by o00honey-bee00o | 2014-05-25 18:12 | 音楽
東京事変の、「32歳の別れ」
車で聞いていたら、「そういう歌詞だったのか」と気がついたので全部読んでみたら、なんとも真理であったような気がする。



君は生真面目だと云うけど
僕は何時でも好い加減に泳いでるんだ。
顔を合わす度互いにに固い掟の牢屋へ
閉じ籠ってしまうね。
僕が居なけりゃ女にも男にもならなくて良いよ。

払った犠牲を競うの止めよう、情けなくなる。
時代が軋んで変わっていく音…聴こえる?
ほら誰の所為でもないさ。

君が居なけりゃ幸福にも不幸にもならなくて良いよ。
揺らいだ思いを惰性と呼ぼうか、切りがなくなる。

出会って赦して詰った日々の直向きな癖。
若くて夢中で壊して傷んで疲れ果てたいま、
時代が歪んで動いている音…聴こえる?
ほら僕ら離れ離れ。


出かけたブログも書くけど、誰と出かけたかとか分かるようなかけらは絶対に残しません。
邪推されるかもしれないけど、新しい相手ができたって思うことであなたの罪悪感が休まりそうな気がするから。
新しい恋をしたところで、それはそれ。この無念さ?虚無感?はそれとは別にある。
誰かと出かけたところで、気持ちが休まるように解釈されるのも癪だ。
そう思っていることが既に未練なのだけど。
仕方がないことも戻れないことももう十分分かったけど、まだ「どうしてこうなってしまったんだろう」っていう気持ちはぬぐいきれなくて。
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by o00honey-bee00o | 2012-06-28 12:14 | 音楽

音楽の力

音楽の力って、何だろう

世にあふれている音を12に分けて、それを無段階に積み重ねていって、その並びや大小、重なりが人間の耳に心地よいかそうでないかはあるかもしれないけど、それが人を良くも悪くも動かしたりするもんなんだろうか。

何かしらバックグラウンドを知って、それを知った上で音楽を聞く時、演奏する人を見る時、一緒に感じあう時、そこに人を動かす何かが生まれるんじゃないだろうか

単に心地よいから、整然と演奏されているから、人を動かすものでは決してないと思う

電子音や何も予備情報のないCDには心動かされないでしょう

CDで心動く人はよほどの熟練された耳の人じゃないかな それか第六感か

音楽の力、芸術の力って、そこに集まる人たちによって生まれるものなんだろうから、ビッグネームが一人で何かしたってその人がビッグネームであることを知らなければそんなに多くの人に感動は届けられないと思う。
祈るようなパフォーマンスや、楽しそうにしたり、派手な動きをしたりしてもそれは、「~そうにしている」だけであって、本当はどうか分からない。

たくさんの人が集まってその想いのキャッチボールで、そこにいる人しか味わえない感動が生まれるもの。

音楽の力、芸術の力って、それそのものではなくて、媒体としてあるだけで、目に見えたり見えなかったりするそれを通じて人と思いを通わせることなんじゃないのかな

だから

音楽の力を信じて

とか言う人

意味分からん。
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by o00honey-bee00o | 2011-05-24 13:03 | 音楽
こっちに来てから初の自分メインの制作担当の本番を2日後に控え、胃の痛みを和らげるためにこっそり東京事変を聞く夜。

知らない曲でもドキドキするサウンド。
林檎さんの声はなにかがあった時の感情を引き起こすスイッチになっているのか、そのサウンドを聞くだけで切ないようなドキドキするような、のどに何かが詰まったような感覚を引き起こす。
何もなくても。

昔何か感情が大きく揺れ動いた時、林檎さんの声を聞いていたのでしょう。

思春期真っ只中、他に何とも形容できない初めてのサウンドに魅了され、何回もリピートして聞きまくった。
大切な人が苦しんでいる時に何もできず、晴れた秋の朝数年ぶりに聞こえてきたのがこの声。
大切にしてくれる人たちや満たされる環境との別れが来て、寂しくて寂しくて涙をこらえた朝。
些細なことで大きな幸せを感じ、世界の全てが鮮明な極彩色に見え自分の中だけではどうにも抑えられず大きな声で発散したドライブ中。

いつも感情が揺れる時になぜか居合わせる、この不思議な、何のジャンルともいえないサウンド。

パブロフ状態。

そして今も、吉となるか凶となるか、瀬戸際のドキドキの中にあるこのサウンド。

これからも、聞くだけでドキドキすることでしょう。

逃げ出したいけど、このギリギリを味わったことも、それをどうやって乗り切るかも、尊い生命の輝き。
今のこのあたしの「必死」はきっと何年かあと、素敵な思い出になるんだと思う。
いつかあの世に行った時、先にそっちに行ってる大好きな人たちに話せるネタがあるように。
それなら余力を残さず、思いっきり「必死」でやってやる。と思うのです。
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by o00honey-bee00o | 2011-02-18 21:24 | 音楽
12歳までは、それこそ記憶力だけで、良い成績を取っていました。
一生懸命頑張っても良い成績の取れない芸術科と体育科、価値観を押し付けられる道徳の授業は嫌いでした。
今思えば、他の教科だって同じことかもしれないけど。努力しても頭に入ってこないものってあるもんね。

中学校に入って、体育は相変わらず苦手だったけど、吹奏楽部に入って、音楽を分かった気になっていました。
プロの演奏家に憧れたこともありましたが、私たちの世代ではクラシックサックスをけん引する某氏の音があまり好きになれず、ましてジャズの音色は吹奏楽の世界では触れることが少なく、あまり「良い音色」として認識できなかったので、サックスでプロにはならないだろうなと漠然と思っていました。

書いたのが前すぎて何を書きたいんだったか忘れた…

でもたぶん、こういうことだと思う。

長い間専門でやってきたことは感覚でなんとなく「こういうもの」というのがあるけど(それがメリットにもなりデメリットにもなるが)、そうでないことはなんとなくは分からない。
なら頭で理解しないといけないんですが、私にとってコンテンポラリーダンスはそういうものでして。

たまたま今の環境には身近にそれがないので興味を持ったというのもあったり、去年研修でやってみたら「言葉じゃないコミュニケーション」てなんか超能力みたいでおもしろくって、もっと知りたいなと思ったのがきっかけで。
自力での情報収集や知識の深化はなかなかできていませんが、ワークショップとかあれば参加したいと思います。

でも、こんな仕事をしていると、自分の感覚だけで分かる分野だけじゃ仕事にならんわけですな。
好きこそものの上手なれだから、好きなものから攻略していけたらと思うわけですけども、それすらしないというのは職務怠慢だと思うわけですな。
金融業界の方だったら、会社から金融商品について学ばされるわけだし、不動産だったら宅建とかは学生の頃から持ってるわけじゃないでしょう。

だから、「それ専門じゃないから」とかって逃げるのは、お金もらって働いてる人の言うことじゃありません。と思ったことでした。おわり。
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by o00honey-bee00o | 2011-01-11 17:15 | 音楽

忘却

それはみんなが

忘れてしまったからじゃなかろうか

いつまでもいつまでも、落ち込んでいるのが良いとは言えない

そりゃみんな元気で生きてるにこしたことはない

でもやっぱり

大人の毎日は忙しいから

少しずつ 風化してしまうんだね

それは、その事実を受け入れているってことでもあるんだと思うけど

むねじぃさん、あたしはお墓参りにも行っていないし、お線香あげにも行っていないし、掲示板にも書き込んでいません

あたしなんかよりずっと近くにいた人たちのことを考えると、あたしなんかがむねじぃのことを語るのはおこがましいかなと思ってしまって。

でも、あたしもみんなに負けないくらい、むねじぃの熟熟なギターの音色が好きだったし、どういうCDを買ったらあんなカッコイイ曲が聴けるのかしら?とも思ったし、でもでもそれってむねじぃだからこそカッコいいのであって、CD聞いちゃったらげんなりしたりしないかなぁとか、いつか一緒に出れたら、とか。

思ってたんですよ。

だからもう聞けないと分かったときは、デートも少しうわの空だったし、とっても悲しかったものでした。

今でも、どういうCDを買ったらあんなカッコイイ曲が聴けるのか分かりません。

ナントカブラウンのCD借りてみたり、youtubeでむねじぃが歌ってた曲の動画見てみたりしたんだけど、あんなにワクワクしないんだよね、なぜか。

なので、あたしの楽しい夢のブルース、ファンク、ソウル、ディスコナンバーは、今のところ叶う予定がありません。

早く戻ってきてちょ。シャイなむねじぃさん。
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by o00honey-bee00o | 2010-02-19 20:01 | 音楽
言いたいことが山ほど山ほど…

誰にってわけじゃなくて、ここ最近触れる出来事の中で、強く思うことがたくさんあって、主張したくてたまらない。

地元でレッスンプロみたいなのしてる子がいる。今年同じバンドで演奏して、すごく刺激になった。

その子はブログで、地元の芸術文化に貢献したいって言ってて、高校へのレッスンに行ったり、地元でのミニコンサートをしたりワークショップの地元講師をしたり、活発にやってる。

学生の頃のお師匠さんが演奏会するっていう記事では、アナリーゼの大切さや、一つ一つの音への意味、自然さ…のようなことを語っておられました。

美しいものを見て、聞いて、感じて、良いものを判断できるようにって。

それはあたしもとっても大事にしたいことのひとつで、同じだなって思った。

佐渡裕さんもバーンスタインにそう言われたって本に書いてたな…良い音楽を生み出すには、良い生活をしなきゃならんとかって。

でもあたしは、美しいものを見て、聞いて、感じて、そうして積み重なった「あたし」っていうものを表現したくて楽器を持ってる。

音楽が大好きか…っていうと、音楽そのものに対してどうっていうのは分からないけど、あたしと同じように楽器を持ってるともだちや、音楽してることで知り合ったともだちは大切なともだち。

楽器を持っているときは嘘つけなくて、仲良くできない人もいる。でも第六感が研ぎ澄まされるのか、楽器を持っているときに知り合ったともだちには、飾らずに話すことができる。

だから、誰かが作った曲を、その誰かが意図したように再現する音楽ってピンとこないし、あたしはそれによって生き生きはできない。

あたしの言いたいことを、あたしの音で、(今は)誰かの曲を借りて言いたい。

思ったとおりに伝える技術はないし、誰かの曲を借りるっていうのは作った方からしたら失礼なことかもしれないけど、「あなたが思ったのって、こうでしょ?」ってやるよりも「この素敵な曲は、あたしだったらあの思いやこの思いを乗せて吹きたい」ってやるほうが、今生きてるあたしがすることとして有意義だと思う。

誰かの曲は、作ったその人にしかその人の思い通りには表現できないし、作った人の意図よりももっと人を感動させられる解釈があるんかもしれないけど、それってなんか数式を解いてるみたいで、それ自体をアマチュア人生を通してすることが、そんなに意義があることとは思えない。アカデミックに追究される方はそれはそれで意義あることだと思うけど。

あたしの曲で言えたら一番素敵なのかもしれないけどね。

音楽で輝いてる様子が分からなきゃあ、音自体がどれだけきれいでも、お客さんは楽しくないと思う。

音楽で知り合った大切なともだちと、音で会話ができたら、楽しいだろうなと思う。

こないだのスウィパラのライブでは、あいちゃんと絡んだつもりだったけど、改めて録音を聞いたらまだまだだった。キャッチボールできるといいな。

今を生きて、プロになって「音楽」そのものを追究するわけでもないのに楽器を持ってるあたしがする、一番「音楽」を生かしたことって、「音楽」で自分を表して、それに命を燃やして、きらきらした火をおこすことだと思う。そのきらきらした火が、いやなこともがんばろうと思えるエネルギーになって、毎日笑顔ですごせる種になるんだと思う。

他に仕事があって、ゆくゆくは家庭を持って子どもを育てて、大きな世界のほんのちいーーーーーさな一部としての人生を全うしようと思っているあたしにとっての「音楽」は、あたしや同じようにここに世界のほんの一部として生きるともだちと素敵な時間をすごすためのもの。

世界の多くの人が認める、昔作られて今も美しいからと愛される曲を作った人の思うとおりに再現するためのものでは、あたしにとってはそうじゃない。

人間の「文化」って、生活とともにあるっていうけど、あたしの解釈はこういうことです。

それ単体を追究していくことだけが発展ではなくて、生活の中で楽しんでいくうちに変わっていったとしても、間違いとか正解とかそんなんではないと思う。発展とか衰退ではなくて、変化。

追究した「スゴイ」ものを聞いて、見て、さらにあたしもあんなふうに輝きたいー!!って思って、自分なりに取り入れてやってみて、「あたしなり」っていうのができて、それがあたしの「文化」であって、個々人の中にある「文化」同士が重なって、ぶつかって、溶け合った結果小さなコミュニティでの「文化」ができて、それらがさらに影響し合って、…って、原始的にはそういう変化を遂げてきたものなんじゃないかな?

だから正解とか間違いとかって、ないと思います。

追究の中で生きてるなら話は別かもしれないけど。

自分のスタイルを持つことって、普通なことだもんね。

だから、ここよりも少し都会で追究する世界の方に習ってトラディショナルを勉強してきたその子が、高校生たちにコンクールで勝てる演奏をレッスンしてるとしたら、それは目先の喜びにはつながるけど、彼らのこの先の人生がずっと音楽とともにあるかどうか、にはつながらないんじゃないかと心配があります。
彼らの人生の一部となることが理想なのかどうかはあたしなんかが判断することではないけど。

どんな子か、まだそんなに知らないし、レッスン見たことがないから分からないんだけどね。

あくまであたしの理想であって、人に押し付けるような崇高なものではないし。


今子育てをしてる地元のアイドルのサックス吹きは、きらきら面であたしの憧れであり、ライバル。

レッスンしに行ってる子は、地元の音楽発展を思う面であたしにないものを持ってて、ライバル。

そういう環境におれて、そのほかのたくさんのともだちのおかげもあって、あたしは自分の理想について考えることができるし、楽しくまい進させてもらえてます。

はぁ幸せじゃ。

何が言いたいか分からない記事だけど、人が変われば「文化」も一様でないってことをあたしは思ってて、でもそれも「文化」の中にいるあたしの考えることだから変わるかもしれないし、そういうことに対してもやぶさかでないってこと。

以上、刺激いっぱい充実音楽ライフ!

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by o00honey-bee00o | 2009-12-07 23:56 | 音楽