本当は真面目なんだけど容量小さいので整理できない頭の中


by o00honey-bee00o

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言いたいことが山ほど山ほど…

誰にってわけじゃなくて、ここ最近触れる出来事の中で、強く思うことがたくさんあって、主張したくてたまらない。

地元でレッスンプロみたいなのしてる子がいる。今年同じバンドで演奏して、すごく刺激になった。

その子はブログで、地元の芸術文化に貢献したいって言ってて、高校へのレッスンに行ったり、地元でのミニコンサートをしたりワークショップの地元講師をしたり、活発にやってる。

学生の頃のお師匠さんが演奏会するっていう記事では、アナリーゼの大切さや、一つ一つの音への意味、自然さ…のようなことを語っておられました。

美しいものを見て、聞いて、感じて、良いものを判断できるようにって。

それはあたしもとっても大事にしたいことのひとつで、同じだなって思った。

佐渡裕さんもバーンスタインにそう言われたって本に書いてたな…良い音楽を生み出すには、良い生活をしなきゃならんとかって。

でもあたしは、美しいものを見て、聞いて、感じて、そうして積み重なった「あたし」っていうものを表現したくて楽器を持ってる。

音楽が大好きか…っていうと、音楽そのものに対してどうっていうのは分からないけど、あたしと同じように楽器を持ってるともだちや、音楽してることで知り合ったともだちは大切なともだち。

金色の彼女といるときは嘘つけなくて、仲良くできない人もいる。でも第六感が研ぎ澄まされるのか、金色の彼女といるときに知り合ったともだちには、飾らずに話すことができる。

だから、誰かが作った曲を、その誰かが意図したように再現する音楽ってピンとこないし、あたしはそれを通して生き生きはできない。

あたしの言いたいことを、あたしの音で、(今は)誰かの曲を借りて言いたい。

思ったとおりに伝える技術はないし、誰かの曲を借りるっていうのは作った方からしたら失礼なことかもしれないけど、「あなたが思ったのって、こうでしょ?」ってやるよりも「この素敵な曲は、あたしだったらあの思いやこの思いを乗せて吹きたい」ってやるほうが、今生きてるあたしがすることとして有意義だと思う。

誰かの曲は、作ったその人にしかその人の思い通りには表現できないし、作った人の意図よりももっと人を感動させられる解釈があるんかもしれないけど、それってなんか数式を解いてるみたいで、それ自体をアマチュア人生を通してすることが、そんなに意義があることとは思えない。アカデミックに追究される方はそれはそれで意義あることだと思うけど。

あたしの曲で言えたら一番素敵なのかもしれないけどね。

音楽で輝いてるあたしの様子が分からなきゃあ、音自体がどれだけきれいでも、お客さんは楽しくないと思う。

音楽で知り合った大切なともだちと、音で会話ができたら、楽しいだろうなと思う。

こないだのスウィパラのライブでは、あいちゃんと絡んだつもりだったけど、改めて録音を聞いたらまだまだだった。キャッチボールできるといいな。

今を生きて、プロになって「音楽」そのものを追究するわけでもないのに楽器を持ってるあたしがする、一番「音楽」を生かしたことって、「音楽」で自分を表して、それに命を燃やして、きらきらした火をおこすことだと思う。そのきらきらした火が、いやなこともがんばろうと思えるエネルギーになって、毎日笑顔ですごせる種になるんだと思う。

他に仕事があって、ゆくゆくは家庭を持って子どもを育てて、大きな世界のほんのちいーーーーーさな一部としての人生を全うしようと思っているあたしにとっての「音楽」は、あたしや同じようにここに世界のほんの一部として生きるともだちと素敵な時間をすごすためのもの。

世界の多くの人が認める、昔作られて今も美しいからと愛される曲を作った人の思うとおりに再現するためのものでは、あたしにとってはそうじゃない。

人間の「文化」って、生活とともにあるっていうけど、あたしの解釈はこういうことです。

それ単体を追究していくことだけが発展ではなくて、生活の中で楽しんでいくうちに変わっていったとしても、間違いとか正解とかそんなんではないと思う。発展とか衰退ではなくて、変化。

追究した「スゴイ」ものを聞いて、見て、さらにあたしもあんなふうに輝きたいー!!って思って、自分なりに取り入れてやってみて、「あたしなり」っていうのができて、それがあたしの「文化」であって、個々人の中にある「文化」同士が重なって、ぶつかって、溶け合った結果小さなコミュニティでの「文化」ができて、それらがさらに影響し合って、…って、原始的にはそういう変化を遂げてきたものなんじゃないかな?

だから正解とか間違いとかって、ないと思います。

追究の中で生きてるなら話は別かもしれないけど。

自分のスタイルを持つことって、トラディショナルな世界以外では普通なことだもんね。

だから、ここよりも少し都会で追究する世界の方に習ってトラディショナルを勉強してきたその子が、高校生たちにコンクールで勝てる演奏をレッスンしてるとしたら、それは目先の喜びにはつながるけど、彼らのこの先の人生がずっと音楽とともにあるかどうか、にはつながらないんじゃないかと心配があります。彼らの人生の一部となることが理想なのかどうかはあたしなんかが判断することではないけど。

どんな子か、まだそんなに知らないし、レッスン見たことがないから分からないんだけどね。

あたしの理想はあくまであたしの理想であって、人に押し付けるような崇高なものではないだろうし。



今子育てをしてる地元のアイドルのサックス吹きは、きらきら面であたしの憧れであり、ライバル。

レッスンしに行ってる子は、地元の文化振興を思う面であたしにないものを持ってて、ライバル。

そういう環境におれて、そのほかのたくさんのともだちのおかげもあって、あたしは自分の理想について考えることができるし、楽しくまい進させてもらえてます。

はぁ幸せじゃ。

何が言いたいか分からない記事だけど、人が変われば「文化」も一様でないってことをあたしは思ってて、でもそれも「文化」の中にいるあたしの考えることだから変わるかもしれないし、そういうことに対してもやぶさかでないってこと。

以上、刺激いっぱい充実音楽ライフ!
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by o00honey-bee00o | 2009-12-07 23:56 | 音楽