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なやみ

誰に言うことでもないけど、仕事と音楽活動の狭間で悩んでいる

5月は、仕事上で知ることとなった、行きたい演奏会に行かなかった。
この時代に生きている一音楽家(になりたい者)として、見ておきたい歴史上の出来事だったと思う。
戦後日本で活躍した偉大な現代音楽作曲家が逝去し、その友人であり大きな影響を与え合ったであろう指揮者が彼の作品を演奏するという会だった。
演奏するメンバーも、彼と心を通わせた人たち。
心あふれる、二度とない時間と空間だったことだろう。

その日に、私は自分の演奏活動を優先させ、隣町のイベントでジャズ(もどき)を吹いていた。
小さな町の、小さなイベント。たった5人のバンド。演奏した曲だって、スタンダードの、誰もが演奏したことのある曲。
アドリブも通り一遍すらできないような稚拙なものだった。←わたしは。

でも、どっちを選ぶのが「正解」だったのか、私には未だに分からない。

正解はなくて、どっちを選ぶかによって、これから私がなる姿が変わった瞬間だったのではと思う。
私はこの地に根を張り、この地の価値観で、この地を出ることなく生きていく人間となることを選んだんだと思う。
もちろんこの時1回の選択が全てを決めるのではなく、こういう選択ひとつひとつがこの先の私の選択肢をひとつずつ狭めていくんだと思う。
どういう者になるのか、より具体的に決まっていくんだと思う。

よかったのかな。
ここで、この範囲内で生きることを選択してよかったのかな。
じゃあそれを選択しなかったら、どうなってた?誰かと深く交わることがあっただろうか。
貴重な機会に、観客=「傍観者」として存在するか、ありきたりな機会でも当事者として存在するか。
観客である限り、誰かと誰かの深い交わりを、傍から指をくわえて見てうらやましがるだけで、何も手に入れられなかったんじゃないだろうか。
って、ずっと考えてる。

3月も4月も、自分の演奏活動を優先させて仕事を休んだ。
私1人が休むことなんてどうってことはなくて、代わりの誰かがやってくれる。
ただ、私はその場にいなくて、何人かの誰かの何かが変わる空気を感じることなく、
置いてきぼりにされてしまっているのではないだろうか。
1度だけならまだしも、周りはその瞬間に立ち会い、何かが変わる空気を何度も肌で感じて自分の積み重ねにしていくのに対し、私はよくて伝聞で、表面だけの経験を積み重ねたつもりになっていくのではないか。
一定期間が経ったとき、私大きく取り残されるのでは。
って、ずっと考えてる。

来月も仕事で何かが動く日に、演奏活動の予定が入ってきた。
代わってもらうことはいくらでもできる。
ただ、その場にいないで、優先させる演奏活動はどのくらい私自身にとって価値のあるものなんだろうか。
プロ級に上手いわけでもない、私以外のメンバーで出れない人もいる、それで生活している人もいない、私達の演奏が音楽史上大きな意味を持つものでもない
でも、私が仕事を選んだら、他のメンバーにとって大きな意味を持つかもしれなかった機会がなくなってしまうかもしれない。
自分の経験をとるか、メンバーの機会をとるか
いやそれは違うな メンバーにとっての「機会」が私にとって無意味かっていうとそれも違う

そうなると、私は
プレーヤーである自分

マネージャーである自分

どっちをとるかってことになるのかな

どっちか選ばなきゃいけないのかな
なんで毎度毎度重なるんじゃ

正直、ちょっと演奏活動をお休みしたい気分です
惰性でこなすのはメンバーにもお客様にも失礼
私にとって演奏活動がどういう意味を持つのか、はっきりさせてからやりたい。
はっきりしないなら家で自己完結でもいいくらい。

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by o00honey-bee00o | 2014-05-25 18:12 | 音楽